明石園行

明石園行は、園俊、園光と並ぶ名工一門で、事実上の始祖である来園行の作である。刀身の腰の付近には密教の法具として有名な三鈷柄剣の彫刻が施されています。明石藩領主の最後だった松平家が所有していたことが判明しています。園行がどんな経緯にいって松平家が所有するに至ったかは不明である。園行に関する有名な話として、信長が持っていた「不動園行」に関する伝説が存在する。信長は、自分が所有していた天下の三大名宝がありました。最初は茶器の「つくも髪」、次に家臣の丹羽長秀、そして最後に不動園行をあげていました。信長は宴席において歌われたこの3つをほめたたえたといわれています。その後、本能寺の変によって信長が死亡した後、不動園行は明智光秀の重臣であった明智左馬之助が所有しました。しかし左馬之助も秀吉によって城を攻め落とされ 最後は追い詰められて死んでしまった。この際、左馬之助は自分の命は諦めてしまったものの、天下の名宝を戦火で焼失してしまうのは惜しいと考え、秀吉に園行を渡したといわれている。死に際においても、この日本刀の行く末を心配したという左馬之助も恐ろしいが、そのような伝説が残るほどに園行には所有する価値があった、ということのようです。