霊験あらたかな刀

当時、藩主の前回利家は娘の原因不明の病に悩んでいた。病状は日に日に悪化するばかりであったが、不思議なことに秀吉から借り受けた秘蔵の大典太を枕もとに置いたところ、たちまち娘は回復した。だが利家が大典太を秀吉に返すとたちまち娘は病をぶり返したのである。

こんなことを三度繰り返した結果、秀吉はついに大典太を手放し、利家に与えたという。また別伝では前回利常が徳川秀忠からもらったとも言われているが、これも病気の下りの逸話は同じである。三条宗近の太刀、静御前の薙刀と並んで大典太は「前田家三種の神器」と呼ばれ、霊験あらたかな刀として神格化されて伝わった。歴代当主のみがそれを触ることができ、それも年に一回手入れするのみで普段はシメ縄を張って安置したという。またこの剣をしまっている蔵は「とまった烏が落ちる」「烏が近付かない」などと言われ、「烏とまらずの蔵」と呼ばれた。現在、大典太光世は加賀前田家伝来の品を展示している前回育徳会で保管されている。

家康は食中毒をこじらせ死の淵にあった。家康は駿府町奉行の彦坂九兵衛光正を呼ぴ、光世を使って試斬りをするように命じた。光正は光世を使って罪人の首を斬らせた。すると刀は罪人の首を落とすに留まらず、勢い余って土壇に食い込んだという。その報告を聞き家康は満足した。家康は自分が死んだ後に枕刀として、光世を傍らに置くように言い遣し、死後自分の神霊がこの剣に留まり国家を永く守るように祈念した。

翌日、家康は息をひきとり、刀は遺言に従い枕刀とされた。その後先世は家康を神として杷る駿州の東照宮に記られ、現在に至っている。光世にはやはり武器や美術品としてだけでなく霊的な力があるように思われていたようである。