武井信正は下野国の武井村の出身です。作刀は江戸で学んだようです。尊王攘夷派であり、その自信は過激なものだったと伝えられています。
尊皇攘夷が刀とどう関係するかというと、上位思想が反りのない直刀を流行らせたからです。剣術師範は別として、短く軽い差料が常であった世間で、三尺前後の直刀は柄も長く異様な姿であったと言います。太刀より昔の上古刀の直刀を模し、王政復古を願ったと言われています。
そんな武井信正の打った刀は現在栃木県で観覧することができます。「甲陽士武井信正」という刀は傑作だと言われています。ところどころに金筋が入っているのがその理由の一つかもしれません。武井信正は私塾で学んでいたのですが、その刀は師である義胤のために鍛えたものだと伝えられています。
また、ほかには國學院大學栃木学園にも所蔵されています。直刃の刃文が着いており、広い身幅に、反りは浅いそうです。
武井信正は尊王攘夷思想家だと前述しましたが、1800年代に、栃木町に水戸天狗党が来た時、援護活動に奔走したと言われています。天狗党の乱は、筑波山で挙兵した水戸藩内外の天狗党(尊王攘夷派)によって起こされた一連の騒乱のことを差し、元治甲子の乱とも言います。
復古等といいますが、古刀をめざした江戸期の刀匠たちの足元にも及ばないと主張する人もおり、作刀の中身ではなく姿見だけにこだわったという話もあります。それでも譲れない想いが武井信正に直刀を作らせ続けたのかも知れません。