神道流と神

剣術流派の多数は、京を始めとする畿内西国で発展したのに比べ、神道流は、東国で創始され発達した。道場の上座中央には「摩利支天」、左右には「香取大神宮」「鹿島大神宮」の祭祀されるのが常であった。

「摩利支天」は武士の護り神、「香取大神宮」は香取神宮の主祭神経津主大神、「香取大神宮」は鹿島神宮の主祭神武甕槌大神。二柱とも武き神、国家鎮護の神として皇室を始め広く尊崇を集めた神々である。

明治以前まで神宮の社格は、伊勢、鹿島、香取の三社にのみ許された社格であった。この事実を持ってしても鹿島・香取の社格の高さが窺えるだろう。経津主大神と武甕槌大神は、出雲神話の中の「大国主大神の国譲り」に登場する神々である、葦原の中つ国(古代日本)は、多くの小国家に分裂した状態であった。

中でも勢力のあった出雲を平定するため、天照大御神に遣わされたのが経津主大神と武甕槌大神の二柱の武神だという。

出雲稲佐浜に降臨した経津主大神と武甕槌大神は、十握剣を波打ち際に逆さに突き立て出雲の神々に対して降伏を迫った。大国主大神は、神器の廣鉾を授け、葦原の中つ国の国譲りを受け入れた。こうして日本は平定されたという。