東国と武神

建国に多大なる功績のあった経津主大神と武甕槌大神の二柱の武神の神々は、なぜ大和ではなく辺境の東国に祭祀されているのだろうか。東国支配に着手した大和朝廷は、東国一帯に土着していた蝦夷の激しい抵抗に苦慮していた。

なかでも最大の勢力であった阿弖流為には、4000もの朝廷軍をわずかな軍勢で惨敗敗走させられた(酢伏の戦い 789年)。その後、日本初の征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂が奥州に着陣、彼の硬軟取り混ぜた戦略により阿弖流為は滅ぼされてしまう。

阿弖流為の滅亡後も、度々の反乱や紛争が勃発し朝廷の東国支配は難渋する。出雲平定、ひいては国内平定に功績のあった鹿島、香取の神々を以ってまつろわぬ民に対しての北辺の守り神として東国に祭祀されているのかもしれない。

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